建設弘済会・建設協会って何?発注者支援業務の歴史を解説します!
今では、一般競争入札方式による業務受注が当然のことになった発注者支援業務。
しかし、ひと昔前までは業界の先駆者的存在である旧社団法人が、建設省(現・国土交通省)から随意契約という形で、独占的に業務を受注していました。
なぜ、特定の旧社団法人が随意契約という形で、業務をほぼ独占していたのでしょうか。
本コラムでは、発注者支援業務の原形とも言える社団法人、建設弘済会・建設協会について解説します。
現在の発注者支援業務へとつながる歴史を見ていくことにしましょう。
目次
発注者支援業務はなぜ始まったのか
「小さな政府」という言葉をご存じでしょうか?
これは、「民間で提供が可能な財やサービスについては、政府の関与を無くし、行政機関の人数をできる限り少なくし、コンパクトなものにする」という意味を持ちます。
昭和57年から昭和58年にかけて、中曽根康弘氏が総理大臣を務めていたころ、この言葉はよく使われました。
民間でできることは民間に移し、自由競争を促すことで経済成長を図ろうとしたのです。
この考え方に基づき、行政機関をコンパクトにするために考え出された方法は、公務員の採用人数の削減でした。
公務員は簡単にクビにすることができないための苦肉の策だったと言えるでしょう。
ところが公共工事に関する業務は、当時も今と変わらず多く、それに加えてバブル前後の時代だったため、工事量の数は多かったのです。
つまり、仕事量が多いにもかかわらず、小さな政府を推し進めたために、人が少ないという事態におちいってしまったのでした。
そこで、地質調査・測量や設計、施工といった業務については専門業者に任せ、残りの業務については発注者側で行うことにします。
しかし、発注者側も人手不足が深刻だったため、最終的には「発注者支援業務」として、一部の業務を外部に業務委託することになりました。
これが発注者支援業務の成り立ちです。
国土交通省における発注者支援業務の成り立ち
2006年(平成18年)頃まで、国土交通省の発注者支援業務は、ある社団法人が独占的に受注しているような状況でした。
その社団法人というのが、「建設弘済会」と「建設協会」です。
それでは、この建設弘済会や建設協会は、なぜ国土交通省が発注する発注者支援業務を独占的に受注できていたのでしょうか。
ここでは、建設弘済会や建設協会とはどのような組織だったのか、なぜ独占的に受注できていたのかについて解説します。
建設弘済会・建設協会とは
建設弘済会や建設協会は、昭和30年代から昭和40年頃にかけて、建設事業をスムーズに進めるための手助けを行い、国土開発の発展に尽くすことを目的として全国各地で設立された社団法人です。
また、国土交通省の外郭団体としても知られていました。
外郭団体とは、分かりやすく言えば子会社や関連会社のようなものだったため、世間一般的には天下り団体という印象があったことも否めません。
建設弘済会や建設協会の主な事業は、発注者支援業務だけでなく、防災活動支援や環境活動、さらには地域づくり活動の支援などでした。
建設弘済会・建設協会は下記のようにエリアごとに設立されていたことで知られています。
- 東北建設協会・・・・東北エリア
- 関東建設弘済会・・・関東エリア
- 北陸建設弘済会・・・北陸エリア
- 中部建設協会・・・・中部エリア
- 近畿建設協会・・・・近畿エリア
- 中国建設弘済会・・・中国エリア
- 四国建設弘済会・・・四国エリア
- 九州建設弘済会・・・九州エリア
- 九州地方計画協会・・九州エリア
エリアごとに設立されていたため、例えば関東で行われる事業であれば関東建設弘済会が、近畿で行われる事業であれば、近畿建設協会が受注していたのです。
建設弘済会や建設協会は随意契約を結んでいたため、ほぼ独占的に仕事を受注することができていました。
随意契約とは、現在の一般競争入札方式ではなく、任意に特定の事業者を選定して締結する契約方法を言います。
現在、随意契約は公平性や透明性において反しているとされているため、限られた条件下でしか認められていません。
当時は、公共事業が行われ、発注者支援業務が発生した場合、各エリアの建設弘済会や建設協会が、職種に関わらず(工事監督や積算、資料作成など)、すべての業務を受注していました。
国土交通省の発注者支援業務は独占状態だった
上述の通り、建設弘済会や建設協会は、2006年頃まで発注者支援業務を独占している状態でした。
建設弘済会や建設協会が国土交通省の外郭団体だったことも、その理由のひとつと言えます。
昔は、国土交通省内で所長など、役職に就いていた人は50歳を過ぎた頃で退職することが多かったそうです。
退職した国土交通省のOBはどうしたかといえば、外郭団体である建設弘済会や建設協会に転職することが普通だったと言います。
このことから、世間からは天下り団体という批判を受けていました。
発注者支援業務の入札は、業務の性質上、設計業務など通常の業務の入札とは異なります。
何が異なるのかといえば、技術者をどの程度集められるかが落札のポイントになるという点です。
そのため、建設弘済会や建設協会が随意契約という形で、独占的に仕事を受注していた頃は、協力会社(現在の民間建設コンサルタント)と出向契約を結んで、技術者の提供を受けていたと言います。
出向契約の場合、出向した技術者本人の立場が法的に出向元、出向先の双方に在籍していることになり、技術者本人は弘済会・協会の職員として発注者支援業務を行っていたのです。
このように、多くの技術者を集められるように協力会社と協力していた建設弘済会や建設協会は、長年にわたり発注者支援業務を独占的に受注することができていました。
なぜ発注者支援業務は変化を遂げたのか
長年の間、発注者支援業務を建設弘済会や建設協会が受注してきていましたが、その問題点が指摘されるようになります。
そのきっかけとなったのが、民主党政権の影響です。
当時、民主党政権は事業仕分けを行い、国家公務員の天下り問題に力を入れ、是正を行うことを推し進めていました。
天下り問題のひとつとして、建設弘済会や建設協会も槍玉に上がることになったのです。
なぜ、国土交通省の発注する仕事を、建設弘済会や建設協会が受けて、協力会社が実務を行う必要があるのか。国土交通省の発注する仕事を協力会社が、直接受注すれば良いのではないかとの指摘がなされたのです。
受注者である国土交通省と、実務を担当する協力会社の間にある建設弘済会や建設協会の存在意義の問われる指摘でした。
この指摘や批判を受け、協力会社自体が発注者支援業務を受注することが可能になりました。
さらに、一般競争入札方式を導入したことによって、公平性・透明性が保たれるようになり、価格競争も可能となったことから、現在の受注方式へと変化を遂げるようになったのです。
まとめ
現在の発注者支援業務の受注方式が定まる前は、建設弘済会や建設協会という社団法人が、発注者支援業務を一手に担っていました。
それは、「小さな政府」を目指す政府の方針と、業務量との兼ね合いにより生まれた結果だったと言えるかもしれません。
現在は、公平性と透明性が確保された、一般競争入札方式が採用され市場原理も働くようになりました。
発注者支援業務は、現在のような受注方式の採用を始めてまだ10数年の歴史しかありません。
しかし、今後はインフラ設備の改修や、自然災害における復興工事など、発注者支援業務の需要は高まることが考えられます。
より公平性と透明性が保たれ、品質が確保された公共工事の一助を担える業界に成長することが期待されます。
このように、発注者支援業務は、国や都道府県などの自治体や、官公庁などが発注する公共事業の発注業務をサポートする仕事です。
公務員と同じような年間休日や勤務時間など職場環境も整っており、安定的な仕事であることも魅力のひとつでしょう。
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